さくせん

頼ることも含めて自立。子供が自立するために親が出来ること。

子供たちよ、聞きなさい。

遠くない未来、お前たちもそれぞれ冒険へと旅立つ日が来るだろう。

そのときのためによく覚えておきなさい。

長い旅路において、セーブポイントを使うことが何より大切だということを!

本当の意味の「自立」とは?

皆さんは「自立」について聞かれたとき、どんなイメージを持つでしょうか?

自分の足でしっかり立てること。人の手を借りず、自分の力だけでやっていけること。

私はそんな意味で「自立」を使っていました。そして、そんな自分になれるよう頑張っていた面もあります。

さらには、子供にも自立した大人になってほしい!と考えていました。

が、、、先日、自立の本当の意味と、そこから繋がる子育てについて、深く考えさせられることがあったので、ご紹介したいと思います。

何でも自分で出来ることが自立ではなかった!

私が自立について考えるきっかけになった出来事。それは肉離れ!

そう、急に無理な運動をしたときに、ピキ!っと起こるあれです。

左足に肉離れを起こしたことで、数日間、松葉杖をついたり、普段どおりのに生活することが出来ない事態が発生しておりました。

それでも、無理をしながら、保育園へのお迎えや家事をいつも通りこなそうと頑張ろうとしていたツマー(少々盛っている)。

そんなツマーにオットーが一言、こう声をかけてくれたのです。

オットー
オットー
僕ができることは無理しないで任せておけばいいんだよ。頼ることも含めて自立だよ。 

「頼ることも含めて自立」。何ですか、この金言…!

こちら、もとはオットーの敬愛する心理学者の河合隼雄先生の著書から、引用した言葉のようです。

河合隼雄とは

心理学者。日本人で初めてユング派分析家の資格を取得。日本における分析心理・臨床心理の発展の礎となる人物であり、第一人者。『ここの処方箋』など数多くの名著がある。

頼ることが出来てこそ、人は自分で立つことが出来る

言われてみれば確かにそうです。

どんなに頑張っても自分一人ではどうやってもできないことって、たくさんあります。

そして、自分が出来ないことを誰かに頼らないでやり過ごすこと(放置すること)は、どこかで不具合に繋がっていきます。

今回の我が家を例にすると、料理や洗濯など、私が動けず出来なかった家事をオットーにやってもらうことで、家族は普段どおりに生活することが出来ましたが…、

ツマ―
ツマ―
もし、自分だけで全てを何とかしようとしていたら、洗濯物は干すことができず、ご飯もレトルトで、ゴミ出しもできないという状況になってたよ。

今回のケガのように一時的なものであれば、それでも問題ないかもですが、一人で対応できないことが日常的にあったり、人生のうちの大事なことであったりすれば、きっと、自分も困るし、家族や周りにも心配をかけたり影響が出てしまうことになりますよね。

人の手を借りず自分の力だけでやるというのは、私がこれまで思っていた「自立」の状態。だけど、この状態は本当に「自立している」といえるでしょうか?

オットー
オットー
河合隼雄先生のお言葉を借りるなら、自立ではなく、「孤立」かもしれないね。 

今回のことは、物理的に助けが必要となったほんの一例ですが、心理的にも物理的にも、人は皆、必要に応じて誰かに頼ったり、依存することで、自分で立つことができているのだなと、身を持って感じるきっかけとなりました。

こどもが自立するために親が出来ること

では、ここからが本題です。

本当の自立とは、人にきちんと頼ることが出来てこそ成り立つもの。

なのに、私は子育てにおいて、人に迷惑をかけないように、自分の足でしっかりと立つ人になれるようにと、使う言葉は色々だけど、そんなことを子供に都度伝えていました。

それはむしろ、呪いだったのかもしれません。

「自立」を勘違いすると、末代まで苦しめることに

筆者であるツマーは人に頼ることが苦手です。自分のことは自分でなんとかする。そんな風に「自立」にある意味こだわっていました。

私がなぜ、そんな勘違いの自立にこだわったのか。それは生育環境にも関係していると思います。

私の両親は、共に大家族で育った末っ子同士のカップルです。普通の家庭ですが、兄姉が多かったことで甘やかされ気ままに育ってきたそう。(本人たち曰く)そのせいで家事や家計管理はもっぱら苦手。

そのため、家はいつも片付いておらず、お金もない状態。まともに暮らしていくために、祖父母や親戚に助けられている部分が多いにあったと思います。

子供ながらに、そんな家庭を後ろめたく思い、自分の面倒は自分で見る!人に迷惑をかけないように生きたい!というのが、どこかで私の人生の大前提になっていました。

そんな価値観から、子供にも自立が大事と伝えていたわけですが、それが逆に、本当の意味での自立を妨げるものになっていたとは!!

つらいときにも誰にも頼らず、自分で出来る範囲で生きていけ。

そう言っていたも同然だったからです。

私が子供たちに望んでいる生き方は、そういうことではなかったはずなのに…。

そして、そんな勘違いの自立という概念を刷り込まれた子供たちは、また自分の子に同じような教育をしてしまうかもしれません。「人に頼らないことが正義なのだ」と自分自身も呪縛に苦しみながら。

ツマ―
ツマ―
それはまずい、まずい、まずいーっ!!

必要なのはRPGでいうところのセーブポイント

では、子供が本当の意味で自立できるように、親が出来ることは何でしょう?

それは、セーブポイントになることです!

RPGゲームなんかで、冒険の途中でマップ上にある、それまでの記録をしたりパワーが回復できたりする、あれです。

自分一人で立ち行かないことがあっても、そこに行けば相談に乗ってもらえる、助けてもらえる、という安心できる場所があれば、人は前に進むことができます。

全回復できなくてもいいんです。半回復でも、1/4回復でも、あそこに寄ればゲージを回復できる!そういうセーブスポットを持てることが、本当の意味での自立をするために一番必要なのだと思います。

また、親だけでなく、信頼できる大人・友達、そんな頼れる存在をたくさん作れるように支えること。親が出来ることはきっとそういうことなんだと思います。

ツマ―
ツマ―
人に頼ってもよいことを知っていれば、別の場所でも、必要な場面で頼ることができるようになるよね。
オットー
オットー
そうだね。さらに、頼ることが出来れば、頼られることもできるようになっていくんだと思うよ

まとめ

今回の記事のポイントはこちら!

  • 人に頼ることができてこそ、真の意味で自立できる
  • 子供の自立のためにはセーブスポットが必要

私には耳が痛い話となりましたが、これまでの自分が間違っていることに気が付いたからには、改めなければいけません。

今後は、「自分のことは自分で」と伝えていたことに代えて、「つらいことがあったら教えてね」「何かあったら頼るんだよ」と、日頃から私はセーブポイントだということを子供にアピールしていこうと思います。

オットー
オットー
今回は僕が良い仕事をしたっていう話だったね!
ツマ―
ツマ―
・・・・・・・・

今回は子供の自立について考えましたが、大人にとっても自立するって難しいことですよね。

我が家のケースが、自立について改めて考えてみるきっかけになればと思います!